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2008 / 2 / 8

続・大学生活なんて・・・


の続きです。

母が

これって、家庭内暴力

と一言。
僕が扉や自分の机を殴ったことは、そんな一言で片付けられるものじゃない。いろいろ思うことがあった。
いじめられてたのも、その一つ。なにか、いろんな気持ちがあったはずなのに、今は思い出せません・・・。

でも、「家庭内暴力」なんていう一言で片付けられるのには納得がいかなかった。そんな一言で片付けられるほど簡単なものじゃなかったから。
久しぶりに泣いたな、あの時は。母と一緒に夕食を食べるのが嫌で、その日は寝たフリをしてました。数時間寝ると少し気持ちも落ち着いたけど、それでもなんだか言い表せないものが心の中にあった。

その扉は自分で壊して粗大ごみに捨てました。父もその壊れた扉を見てたし、母からこのことは聞いてたはずだけど、このことについては僕に何も言わなかったし、怒りもしなかった。その時はただ「怒られなくてよかった」と思っただけだったけど、今になって少し思うことがある。

家族で食事をしてたあの時、父は目の前で「一人暮らしさせるお金はないから」と言われてどうだったのか、と。母は明らかに父の稼ぎを少なさを、子ども全員の前で言ったわけだ。そんなことを言われた父の面目はまるつぶれだっただろう。
僕も「寮生活」することが現実になり最悪だったけど、父も父で母からはっきりとあんなことを言われて良い思いはしなかったはずだ。
それでも、何も言わなかった(言えなかった)父の気持ちには考えさせられてしまう。

僕は母のような人とは結婚したくないな、と最近よく思う。あの食事の時のこともそうだけど、さすがに「ありえない」と思うことが最近よく目に付くようになってきた。まあ、僕のような年頃の男子が母親のことを好きっていうのはほとんどありえないことだけど。
こういってても母のような人と結婚してしまうのかな・・・。なんかそんなことを聞いたことがあるような気もする。
でも、僕はこの街は好きでも、この家には戻ってこないと思う。

今日、ベネッセから以前に進研ゼミを受講していた人向けに、ベネッセ学資ローンのDMが来た。封筒には「大切なお知らせです」と書いてあったわりには、僕には関係ないなと思ったが、中に入っていた「巣立ちのとき」を読んでみた。
名古屋大学大学院 教育発達科学研究科 平石賢二 准教授の話が書いてあった。高校生の終わりから大学生くらいになると子どもは「自分の立場だけで親子関係を捉えるのではなくて、だんだん親の立場で、親の視点でものを考える力が身について」くるそうだ。また、大学生くらいになると「親を一人の人間として客観的に見られるようになる」そうだ。
確かにそんなところもあるなと思った。あの食事の時の父の気持ちを考えたのが一番いい例だと思うけど。

最近の僕は、とにかく母が嫌いでこの家から出て行きたいと思っている。前々から大学生になったら「奨学金をもらうように」言われてたけど、最近は「寮生活」をするようになどと言い始めた。お金が無いのは分かるけど、言い方があるやろって思う。
長男だし、この家に戻ってきて両親と一緒に住まないといけないかもしれないと思うと・・・、ありえない・・。

あんな大人にはなりたくない

最近そう思う。大人になったらこんな気持ちを忘れてしまいそうで恐いけど、あんな大人にはなりたくない。絶対に。絶対に。
今は、大学の学費を稼げるわけでもないから、あんまり強くは反抗できないけど、大人になったらもう少し自由に生きてみたい。
それまでは、この気持ちを忘れずに生きていたい。